治療が合わなかった私が、デジタル療法に少し期待してしまう理由

診察室の外にある「23時間40分」を、デジタルが支えてくれる日

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私は、自分が強迫性障害だとわかってからも、うまく治療のレールに乗ることができませんでした。

病名がわかれば、あとは専門家に相談して、治療を受けて、少しずつ良くなっていく。外から見ると、そういう道筋を想像する人もいるかもしれません。

もちろん、治療が大切なことはわかっています。専門家の力を借りられるなら、そのほうがいい場面もたくさんあると思います。

でも、私の場合はそう単純ではありませんでした。

強迫性障害だとわかった。
治療を受けようとした。
けれど、受けた治療がどうしても自分には合わなかった。

その結果、私はかなり長い時間、ほとんど一人で強迫性障害と向き合うことになりました。

それでも今の私は、とりあえず寛解と呼べる状態にいます。

だからこれは、「この方法で治りました」という話ではありません。
まして、治療を受けなくても大丈夫だと言いたいわけでもありません。

ただ、治療につながれなかった時間を一人で抱えてきた人間として、最近の「デジタル療法」や「治療用アプリ」の流れを見ると、どうしても思ってしまうのです。

あの頃、こういう支えがあったら、私はもう少し孤独ではなかったのかもしれない。

治療につながれなかったあとの時間

強迫性障害と向き合っていると、本当にしんどいのは「説明できる場所」にいるときではない、と私は思います。

診察室では、先生がいる。椅子がある。白い壁がある。
「それは症状ですね」と、自分の中で起きていることを正しく仕分けてくれる人がいる。

でも、問題はそのあとです。

病院の自動ドアを出た瞬間から、こちらはまた自分の脳と二人きりになる。しかもこの脳、ご存知の通り、なかなか話が通じません。

「さっき確認したよね?」
「でも本当に?」
「いや、この目で見たよね?」
「見た気がする“記憶”を作っただけでは?」

こうして脳内裁判が始まり、だいたい私は被告席に座らされます。しかもこちら側に弁護士はいない。圧倒的な敗北戦です。

診察が20分だとしたら、残りは23時間40分。

けれど私の場合は、その23時間40分どころか、治療のレールにうまく乗れなかった長い時間そのものを、自分で抱えるしかありませんでした。

強迫観念が湧いても、すぐに相談できる人はいない。
確認したくなっても、「今ここでどうすればいいのか」を一緒に整理してくれる人もいない。
不安で頭がいっぱいになっても、結局は自分の中でどうにかするしかない。

この「自分の中でどうにかするしかない」という時間が、私はいちばんきつかったのだと思います。

ワンオペの時間が始まる孤独なイメージ画

一人で耐える時間は、想像以上に長い

強迫性障害の治療では、ERP(曝露反応妨害法)という方法がよく知られています。

不安を感じる状況を避けず、確認や洗浄などの強迫行為をしないで耐える練習です。理屈としては、とても大切な方法だと思います。

でも、頭でわかることと、実際に一人で耐えられるかどうかは、まったく別の話です。

夜、布団に入ったあとに鍵のことが気になる。
「閉めた」と思う。
でも、「本当に?」が追いかけてくる。

確認しに行けば、一瞬だけ楽になる。
でも、また次の不安が来ることも知っている。
確認しなければ、胸のあたりがざわざわして、眠るどころではなくなる。

そういう時間は、外からはほとんど見えません。

誰かの前で大声を出しているわけでもない。
泣き崩れているわけでもない。
ただ静かに、頭の中だけで同じ問いを何十回も巻き戻している。

でも本人にとっては、かなり消耗します。

強迫性障害のしんどさは、症状そのもののつらさだけではありません。この強烈な孤独感を抱えたまま、平気な顔をして日常を回していかなければならないことも、大きな負担なのだと思います。

私も何度も、「誰かが今だけ横にいてくれたら」と思いました。

大げさな励ましがほしいわけではありません。
「絶対に大丈夫」と保証してほしいわけでもありません。

ただ、頭の中で不安が暴走しているときに、少しだけ立ち止まるきっかけがほしかった。
自分の考えがどこで強迫に巻き込まれているのか、外側から見直すための手すりがほしかった。

今、デジタル療法に少し期待してしまうのは、たぶんその記憶があるからです。

デジタル療法は、魔法ではないと思う

最近、医療ニュースなどで、医師が薬と一緒に「治療用アプリ」を処方する時代になってきた、という話を見かけるようになりました。

ここでいうアプリは、一般的な健康管理アプリとは違い、医療の一部として使われることを前提にしたものです。いわば「デジタルのお薬」のような存在です。

強迫性障害の分野でも、認知行動療法やERPを支えるために、アプリやオンラインプログラムを活用する研究が進められています。

とはいえ、私はデジタル療法がすべてを解決してくれるとは思っていません。

スマホの画面を見たからといって、不安が一瞬で消えるわけではない。
アプリを開いたからといって、強迫観念がきれいに黙ってくれるわけでもない。

それに、強迫性障害の苦しさは人によって違います。
アプリが合う人もいれば、かえって負担になる人もいるかもしれません。

だから、これは「私はこれがあれば治った」という話ではありません。

ただ、あの頃の私のように、治療の場につながれなかったり、一人の時間に症状を抱え込んだりしている人にとって、画面の向こうに小さな支えがあることには意味があるのではないかと思うのです。

たとえば、不安が襲ってきたときに記録する。
確認したくなった瞬間に、一呼吸おく。
自分の考え方のクセをあとから振り返る。
症状の波を、頭の中だけではなく、画面上に外へ出してみる。

それだけで、全部を一人で抱え込まなくて済む瞬間があるかもしれません。

私が期待しているのは、症状を消し去ってくれる特効薬ではありません。
一人で耐えるしかなかった時間に、少しだけ「手すり」が増えることです。

暗闇のなかで1本の細い光のライン(手すり)に手を添えてよたきちが歩いているイメージ画

デジタルは、そんなに冷たいものだろうか

「デジタル療法」「治療用アプリ」と聞くと、少し冷たい印象を持つ人もいるかもしれません。

心がしんどいときに、スマホの画面に向かうなんて、余計に孤独になりそう。人に話を聞いてもらうほうが安心する。そう感じるのは自然なことだと思います。

私も、人の存在にしか救えないものはあると思っています。

ただ、強迫性障害の不安は、いつも人がそばにいる時間だけに起こるわけではありません。

むしろ、誰にも言えないとき。
家族が寝静まったあと。
仕事中に何食わぬ顔をしているとき。
一人で部屋に戻った瞬間。

そういう、いちばん助けを求めにくい時間に限って、不安は平然とやってきます。

だから、24時間いつでも使える仕組みには、それだけで意味があるのではないかと思うのです。

これは、人間の先生の代わりにするものではありません。
誰かに頼ることをやめるためのものでもありません。

むしろ、誰にも届かなかった時間を、少しだけ支えるためのもの。

そう考えると、デジタルは冷たい機械というより、これまで見過ごされがちだった「日常の苦しさ」に近づこうとする、新しい支え方なのかもしれません。

寛解した今だから、思うこと

私は今、とりあえず寛解と呼べる状態にいます。

強迫観念に一日中振り回されることは少なくなり、以前よりもずっと生活しやすくなりました。もちろん、不安定な日がまったくないわけではありません。それでも、あの頃のように生活全体を強迫に持っていかれる感覚は、かなり薄れています。

だからこそ、今振り返ると、あの頃の私に足りなかったのは、「正しい知識」だけではなかったのだと思います。

もちろん知識は大切です。
強迫性障害がどういう病気なのか、確認や洗浄がなぜ不安を強めるのか、ERPがなぜ必要なのか。そういう理解は、回復に向かううえで大きな支えになります。

でも、知識だけでは乗り切れない時間がありました。

わかっているのに怖い。
理屈では納得しているのに、体が確認しに行こうとする。
もうやめたいのに、やめたら何か悪いことが起きる気がする。

そういう瞬間に必要だったのは、正論ではなく、少しだけ踏みとどまるための支えだったのかもしれません。

暗い部屋に柔らかな朝の光が差し込む希望のイメージ画

デジタル療法がそのすべてを担えるとは思いません。
でも、支えの選択肢が増えることには、きっと意味があります。

治療が合う人もいる。
合わない人もいる。
病院に通える人もいる。
通えない人もいる。
家族に支えてもらえる人もいれば、誰にも言えずに抱えている人もいる。

強迫性障害との向き合い方は、一つではありません。

だからこそ、薬や対面の治療だけでなく、日常の中で支えてくれる仕組みが増えていくことを、私は静かに期待しています。

おわりに

私がデジタル療法に期待しているのは、「これがあれば治る」という未来ではありません。

あの頃の私のように、治療が合わず、ほとんど一人で強迫性障害と向き合っている人が、ほんの少しでも孤独を減らせるかもしれない未来です。

不安が襲ってきたとき、全部を頭の中だけで抱え込まなくて済む。
確認したくなったとき、少しだけ立ち止まるきっかけがある。
夜中に一人で苦しくなったとき、「今、自分は何に巻き込まれているのか」を見つめ直す手がかりがある。

それだけで、救われる時間はあると思います。

私を治したのは、デジタル療法ではありません。

でも、もしあの頃の私のポケットに、ひとつでも頼れる手すりが入っていたら。

私はもう少しだけ、一人ではなかったのかもしれません。

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