こんにちは、よたきちです。
この「よたきちノート」では、他のカテゴリーとは少し雰囲気を変えて、日常の些細な出来事や気づきを、思いつくまま、ありのまま書いていこうと考えています。
今日は、私の今の状態である「寛解(かんかい)」について、少し触れてみようと思います。
「寛解」という言葉を辞書やネットで調べると、一般的には次のように説明されています。
【寛解とは】
一定の期間、対象となる精神疾患の重大な兆候や症状が認められない状態を指します。概ね2ヶ月以上継続している場合に「完全寛解」といいます。アルコールや薬物依存などは障害特性を考慮して、3ヶ月以上12ヶ月未満を「寛解早期」、12ヶ月以上診断の基準を満たさない時「寛解持続」と称しています。
引用元:こころの耳(厚生労働省)より
プロフィールにも書いている通り、今の私は、この定義や医療の枠組みで言えば「寛解」と呼ばれる状態にあります。
ただ、そのカチッとした言葉だけで今の自分の状態を言い切れるかというと、正直、いつも少し引っかかってしまうのです。
たしかに、不安は以前と比べればかなり弱まりました。
生活に支障が出ることもほとんどないし、昔のように一日中強迫観念に振り回されることもありません。
客観的に見れば、十分に「良くなった」と言っていい状態なのだと思います。

でも、じゃあ強迫性障害が自分の中からきれいに消え去ったかというと、そうではありません。
不安はもう主役の座を降りたけれど、不意打ちのように、ときどき舞台の端のほうからピョコッと顔を出します。
以前のように大声で騒ぐわけでもなく、ただ「まだここにいるよ」と存在を知らせてくるような絶妙な距離感で。
世間一般のイメージする寛解が「不安がゼロになること」だとしたら、私の実感はそれとは少し違います。
治ったというよりは、付き合い方が変わって、過ごしやすくなった。そんな感覚に近いのです。
「完治」とか「寛解」とか、言葉としては便利だし、医療の目安として必要なのも分かっています。
ただ、当事者である私の中のリアルな感覚は、そのどちらかにきれいに白黒つけて収まるものでもありません。
だからこそ、この「よたきちノート」では、教科書どおりの言葉ではこぼれてしまうような生々しい実感や、とくに症状がひどかった頃に、何を感じ、どうやってその不安を『うやむや』にしながら日常を進めてきたのかを、綺麗に整理しすぎず、そのまま書いていこうと思います。
