カバンが床に置けない、という些細で壮大な葛藤

カバンが床に置けない、という些細で壮大な葛藤

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強迫性障害と過ごしてきた時間の中から、今も時折思い出すワンシーンを綴っています。

たかがカバンを床に置く。それだけのことに、私は四十分もかかったことがある。

家に帰って、カバンを床に置くだけ。文字にすればわずか一行、所要時間にしてコンマ数秒のイージーモードなタスクのはずなのに、その日の私は玄関でカバンを握りしめたまま完全フリーズしていた。腕の重さはじわじわ増していくのに、足だけが床に接着剤で固定されたように動かない。カバンの底は床すれすれで虚しく揺れている。あと数センチ下ろせば重力から解放されるのに、その「数センチ」が、まるでブラジルの裏側くらい遠かった。

理由は単純。外出中、カバンが“汚れた”と判定される大事件(私調べ)が発生したからだ。 駅の階段ですれ違った見知らぬ人の服の裾が、私のカバンの側面にほんの数ミリ、かすった。

人が聞けば「で?」と1秒で流すような、あるいは目視すら不可能なレベルの接触。それなのに、私の脳内では世界がモーセの十戒のごとくきれいに二層に割れてしまった。嫌悪と安心。汚れと清潔。触れていい聖域と、触れたら即死の汚染区域。 その巨大な境界線(※ただの我が家の玄関框)の上で、私はどちらの側にも踏み出せず、ただ立ち尽くしていた。

カバンを持ったまま玄関で立ち尽くすよたきち

カバンを宙づりにしたまま、私の脳内では「無限ループ緊急脳内会議」が強制招集される。 出席者は、パニック状態の私と、一刻も早くベッドにダイブしたい私。議題はただ一つ、「このカバン、どこに着地させるか」。 「とりあえず床はアウトだろ」「じゃあどこに置くんだよ」「一回ゴミ袋に隔離する?」「大げさすぎるだろ」などと不毛な意見だけが飛び交い、肝心の結論は永遠に出てこない。会議室の真ん中でカバンを持たされ続けている私の肉体だけが、ただひとり虚しく消耗していく。

昨日までの私なら、こんな泥沼会議はそもそも開催すらされていなかった。仕事から帰ってきてソファにカバンを放り投げ、その上にスマホや財布を雑に重ねて、「あー疲れた」で終わっていたはずなのだ。なのに今の私は、嫌なものに触れた“気がする”だけのカバンをどう扱うかという、地球の存亡に比べたら砂粒ほどにどうでもいい問題のために、丸一日ぶんのエネルギーを前払いさせられている。

玄関の静けさに、時計の秒針だけがカチ、カチと無慈悲に響いていた。 ふと壁の時計へ視線を向けると、針は19時10分を指している。退勤時間から逆算すると、私はこの狭い玄関でカバンを持ったまま、優に四十分は直立不動をキープしている計算になる。ほんの数分の迷いのはずが、時間だけが私を置いて淡々と先へ歩いていってしまった。プロの衛兵でももう少し動くぞ、と思う。

腕の筋肉からはそろそろクレームが出始めているが、私はどこに置くべきか決められない。いつもならただ通り過ぎるだけの数歩の空間が、今日は急に、国境の「税関」みたいな重々しさで迫ってくる。カバンを置く場所が「セーフ」なのか「アウト」なのか、たったそれだけの入国判定がどうしても下せない。

頭の中では「本当に大丈夫?」「あとで後悔しない?」「もし汚染が広がったらどうする?」というネガティブな有識者たちの声が次々立ち上がり、思考の客席はすぐ満席になる。そんなふうに不毛な堂々巡りをしていると、カバンの持ち手が手汗でほんの少し滑った。そのわずかな感触が、胸の奥をチリッと刺激する。 置きたい私と、置きたくない私。どちらの言い分もそれなりに筋が通っている(気がする)から、なおさら面倒くさい。そして、そのどちらも“自分”であることが、この世で一番面倒くさい。

相変わらず立ち尽くしたまま、ふと足元の玄関マットに目をやった。 昨日きれいに洗って乾かしたばかりのそれは、現在の私の中では「触れてはいけないほど清らかな純白のマット」に指定されている。その清らかなマットが、まるで「おい、そんな汚れたカバンを持ったまま、ここから先へ進むつもりか?」と、ひそかに私を検問しているような気がしてきた。

一歩踏み込んだ瞬間、その“清らかさ”を自分のせいで永遠に汚してしまう気がして、足がすくむ。声にならない問いだけが静かに胸の奥に溜まっていき、判断の重さだけがじわじわと両肩の僧帽筋にのしかかってくる。

ふと見ると、玄関の隅には小さな観葉植物も置いてある。 「緑があるとリラックスできますよ」というインテリア雑誌の甘い言葉に騙されて迎え入れたはずなのだが、いまこの修羅場の状況で言わせてもらうと、一ミリも落ち着かない。むしろ「葉っぱの裏に、外出先の得体の知れない粒子が付着しているのでは」という新たな疑念が湧き起こり、そっと距離を取ってしまう。癒やしのために買った植物にまで警戒体制を敷く始末。私の世界はいつからこんなにスパイ映画のようになってしまったのか。ほんとうに厄介な脳みそである。

ラグも植物も、床さえも、部屋中のすべての家具が私の“判断待ち”をして静まり返っている。

体はクタクタのくせに、頭だけはフェス状態。フル回転で次の不安材料を自らアクティブに探し回っているのだから、もう笑うしかない。帰宅して「ただいま」と言ってカバンを置く。一般成人が呼吸レベルで行っている日常の1コマが、なぜ私にかかるとここまでの中東情勢並みの緊迫感になってしまうのか。

だって、たかがカバンだ。布とチャックでできた、この部屋の誰よりも無害な存在のはずなのに、私はそのカバンに完全に主導権を握られている。そう思うと、情けないのを通り越して可笑しくなり、つい薄暗い玄関で「ふふふ……」と怪しい笑いが漏れてしまう。だが、その笑いはやはり、砂漠のようにカラカラに乾いている。

ガタン、と外で音がした。隣の部屋の住人が帰ってきた音だ。 その人はきっと、今、カバンを床に置いた。何のためらいもなく、何のドラマもなく、無造作に。私が玄関で人生のすべてを賭けた防衛戦を繰り広げている真横で、その人はたぶん、何も考えずに日常を消化している。きっと明日の朝も、その人は何も気にせずカバンを手に取って、爽やかに出かけていくのだろう。 一方の私はといえば、カバンを「手に取る」までに、いちいち脳内チェックリストを10項目ほどクリアし、頭の中のハザードマップを書き換えて、ようやく出発できるのだ。

こんなバカバカしい比較を頭の中で繰り広げながらも、私はまだ、カバンを持ったまま立っている。夜ごはんの献立なんて、とっくに忘却の彼方だ。玄関灯の白い光がカバンの影を長く伸ばし、私の迷いそのものを床いっぱいに残酷に映し出している。その影を眺めていると、さらに笑えてくる。――少しだけ客観視できる余裕は生まれたのに、それでもやっぱり、どうするかだけは決められない。

―――玄関でカバンを抱えて固まっていたあの暗黒の時間を、いまもたまに思い返すことがある。 あのときの私は、とにかく必死だった。世界の輪郭が少し遠くにぼやけて、カバンも玄関マットも、自分の心でさえも、どう扱えばいいのかわからなくなっていた。動けなくて、決められなくて、ただ立ち尽くすしかなかったあの不器用な姿を、いまの私は、温かいココアでも飲みながら少しだけ距離をあけて眺めている。

あのときは絶望のどん底だったけれど、たぶんあの、無駄に必死だった40分間も、たしかに私の一部だったのだ。

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