強迫性障害の人に、なんて声をかけたらいいんだろう?
やめたいのにやめられない——そんな葛藤のなかで苦しむ姿を見て、「自分にできることは何か」「どんな接し方が正解なのか」と悩んでいませんか?
強迫性障害(OCD)は、本人もつらいですが、支える側にとっても戸惑いの多い病気です。
善意でかけた一言が、かえって不安を強めてしまうこともあります。
それでも、言葉には人を支える力があります。
この記事では、強迫性障害の当事者が「かけてもらって救われた言葉」「逆につらかった言葉」の実例をもとに、安心感を与える声かけのヒントをお伝えします。
家族、恋人、友人、職場の同僚——あなたのその思いやりが、きっと相手の力になります。

なんて声をかけたらいいか、本当に迷うよね…。

この記事で“寄り添い方”を一緒に見つけていこう。
- 強迫性障害の人への声掛けに悩んでいる
- 励ましが逆効果にならないか心配
- 正しい接し方がわからず戸惑っている
なぜやめたくても、やめられないのか?|強迫性障害のしくみ

強迫性障害の人が「やめたいのに、やめられない」と苦しんでいるのは、単なる気の持ちようや性格のせいではありません。
実は、脳の働きそのものに関係しているということが、近年の研究でわかってきています。
とくに関係しているのが、「前頭前野」や「基底核(尾状核)」と呼ばれる部分。
これらは「気持ちを切り替える」「不安を調整する」働きを担っていますが、強迫性障害ではこの回路がうまく働かず、同じ考えが頭から離れなくなったり、不安が強くなりすぎてしまうのです。
さらに、セロトニンやドーパミンといった脳内の伝達物質のバランスも崩れがちで、「強迫行為をすると不安がやわらぐ」という誤った学習が脳内で強化されてしまいます。
つまり、本人の中では「やらないと不安でたまらない」という信号が、本物の危険のように働いてしまうのです。
そのため、治療では「不安を感じても、行動を変えてみる」練習(曝露反応妨害法:ERP)を通じて、
「やらなくても大丈夫だった」という新しい学習を脳に伝えていくことが大切になります。
こうした背景を知ることで、「気にしすぎだよ」「そんなこと考えなくてもいいじゃん」といった言葉が、
どれほど本人を追い詰めてしまうかが、少しずつ見えてくるはずです。
だからこそ、まずは「この人にとっては、本当に耐えがたい不安なんだ」と理解すること。
無理に止めさせようとせず、安心できる距離で寄り添う姿勢が、なによりの支えになります。
なぜ「言葉のかけ方」が大切なのか
強迫性障害の人は、自分の思考や行動について「おかしい」と自覚していることが少なくありません。 それでもやめられない自分に苦しみ、罪悪感や恥ずかしさを抱えていることも多いのです。
そんなとき、「なんでそんなこと気にするの?」「気にしすぎだよ」といった何気ない一言が、思った以上に心を傷つけてしまうことがあります。
たとえ悪意がなくても、「理解されない」「否定された」と感じてしまい、自分を責める気持ちや孤独感が強まってしまうのです。
一方で、「その気持ち、わかるよ」と真正面から受けとめられると、張り詰めていた心がふっと緩むことがあります。
たった一言が、安心を生むこともあれば、不安を深めてしまうこともある。
それほど、言葉のかけ方は、当事者にとって大きな意味を持っているのです。
大切なのは、言葉で“治そう”とするのではなく、“つながる”ことを意識すること。
その姿勢があるだけで、当事者は「この人には話しても大丈夫かもしれない」と感じられるようになります。
本人が求めているのは「正解」ではなく「安心感」
たとえば「鍵閉めたっけ?」と本人が何度も気にしているとき、 「閉めたよ」と答えてあげれば安心するように思えるかもしれません。
でも、実際には“確認してもらうこと”が逆に強迫行為を助長し、 「また確認しないと不安」という悪循環を強めてしまうことがあります。
本人が求めているのは、実は「正解」ではありません。 安心したい、でも安心できない――その葛藤の中にいることを、 ただそっと理解してもらえるだけで、救われる瞬間があります。
だからこそ、「本当はもう閉めたってわかってるのに、不安が止まらないんだね」と、 その”感情”に寄り添う言葉が、何よりも大切になるのです。
強迫性障害の人に安心をあたえる言葉

強迫性障害を抱えている人にとって、「大丈夫」「気にしすぎだよ」といった言葉が、逆に不安を増幅させてしまうことがあります。たとえ善意であっても、不安そのものを否定されると、「やっぱり自分はおかしいのかもしれない」と感じてしまうからです。
では、どんな言葉が安心感につながるのでしょうか。
キーワードは、「理解しようとする姿勢」と「判断しないまなざし」です。たとえば、こんな言葉は、当事者の心にそっと寄り添います。
「大丈夫、一緒に乗り越えよう」
強迫性障害の人は、不安を抱えるなかで孤独感を感じやすいものです。「一人じゃないよ」「一緒に乗り越えよう」というメッセージには、精神的な負担をやわらげる力があります。
とくに「大丈夫」という言葉は、相手の不安に共感しつつ、安心感を与える効果があります。押しつけがましくなく、寄り添う気持ちを込めて伝えることが大切です。
「無理にやめなくても大丈夫。焦らず少しずつ進もう」
強迫行為を無理にやめさせようとすると、不安やストレスが強まり、かえって症状が悪化することがあります。認知行動療法では、不安を「なくす」ことよりも、不安に過剰に反応しない練習が重視されます。
だからこそ、「焦らなくていいよ」「ゆっくりで大丈夫」という言葉は、プレッシャーを取り除き、安心して回復に向き合える環境を作る手助けになります。
「辛かったね。でも、少しずつ良くなっているよ」
強迫性障害の改善には時間がかかるものです。だからこそ、小さな変化や努力に気づいてあげることが、本人の自信や希望につながります。
「前より少し笑顔が増えたね」「この前は不安を乗り越えられてたね」といった言葉も、前進を実感させるうえでとても大きな意味を持ちます。回復のペースを尊重し、前向きなフィードバックを伝えていきましょう。
強迫性障害の人を傷つけるNGワード

「気にしすぎだよ」
強迫観念は、「気にしないようにしよう」と意志で抑えられるものではありません。むしろ、抑えようとするほど頭から離れなくなるという特徴があります(思考抑制の逆説的効果:Wegner et al., 1987)。このような言葉は、「症状への理解がない」と患者に感じさせ、孤立感を深める原因になります。
「何でそんなことをするの?」
行動の理由を問われても、本人が納得のいく説明をするのは難しいことがほとんどです。このような問いかけは、患者に「理解されていない」と感じさせ、不安や自己否定感を強めてしまう可能性があります。
「なぜやめれないの?」
強迫行為には、時に「やめたら何か悪いことが起きるかもしれない」といった切迫感が伴います。この問いは、苦しみを十分に理解されていないと感じさせ、孤立感や罪悪感を深めることがあります。
支える側も、自分を責めないことが大切
強迫性障害のある人に寄り添うことは、簡単なことではありません。
「正しく対応しなくては」「傷つけたくない」と思えば思うほど、言葉選びに迷ったり、自分の接し方を責めてしまうこともあるかもしれません。
でも、大切なのは“完璧な言葉”を探すことではなく、気持ちに寄り添おうとする姿勢そのものです。
うまく伝えられなくても、「そばにいるよ」という気持ちは、きっと相手に届きます。
まとめ
強迫性障害と向き合うのは、本人だけでなく、そばにいるあなたにとっても、決して簡単なことではありません。
「これで合ってるのかな」「余計なことを言ってしまったかも」——そんな不安を抱きながらも、支えようとしているあなたの姿勢こそが、何よりも大きな力になっています。
大切なのは、完璧な対応ではありません。
ただ、迷いながらもそばにいてくれる人がいるという事実が、どれだけ心強いか——当事者には、その想いがちゃんと伝わっています。
言葉が見つからないときは、それでもいいのです。
黙って一緒にいることも、安心のかたちのひとつ。
焦らず、急がず、あなた自身の心も守りながら、少しずつ一緒に歩んでいければ、それで充分です。