「鍵を閉めたはずなのに、不安が消えない」「ガスを消したか思い出せず、何度も確認してしまう」これは、強迫性障害(OCD)の代表的な症状の一つです。
こうした“記憶に対する不確かさ”は、単なる注意不足ではなく、強迫性障害に特有の脳の働きの影響によって引き起こされます。本記事では、「なぜ記憶に自信が持てないのか?」という疑問に医学的な視点から迫り、対処法についても具体的に解説します。
1.なぜ記憶に自信が持てないのか?

① 脳の情報処理の異常
強迫性障害では、前帯状皮質(ACC)や尾状核を含む脳の一部に過剰な活動が見られます。
前帯状皮質は「エラーの検出」や「注意の切り替え」に関与しており、必要以上に反応すると「やり残したかもしれない」「間違っているかもしれない」といった感覚が生まれやすくなります。
また、尾状核の異常によって、「行動を完了した」という実感が得られにくくなるため、行動を終えたという“確信”が脳内で形成されにくくなります(Rauch et al., 1998)。
その結果、「確かに鍵を閉めたはずなのに、不安が消えない」という状態が起き、何度も確認するという悪循環が生じます。
②記銘力の低下と記憶の曖昧化
強迫性障害の人は、新しい情報を記憶する力(記銘力)が一時的に低下することがあります。行動が脳にうまく記録されないことで、「やった」という記憶が曖昧になり、「本当にやったのか?」という疑念が強まります。
確認行動を繰り返すことでかえって記憶が混乱し、曖昧さが助長されることも知られています。
③ソースモニタリングの障害
「実際に行ったこと」と「頭の中で思い浮かべただけのこと」を区別する機能をソースモニタリングといいます。OCDの人ではこの能力が低下しやすく、行動とイメージの区別が曖昧になってしまうのです。
たとえば、「鍵を閉める場面を想像しただけなのに、実際に閉めたと錯覚する」――そのような混同が不安の種となります(McNally & Kohlbeck, 1993)。
④不完全恐怖(インコンプリートネス)
強迫性障害には「完全でなければ気が済まない」という不完全恐怖という特徴もあります。
「まだ終わっていない気がする」「不完全なままでは何か悪いことが起こるかも」といった不安が、記憶への不信感と結びつき、確認行動を助長します。
2.強迫性障害における記憶の特徴

強迫性障害では、エピソード記憶(自分が体験した出来事の記憶)に曖昧さが生じやすい傾向があります。
特に「したつもり」と「実際にしたこと」を混同しやすく、過去の行動に対する確信が得られにくいのが特徴です。
また、“不安が残っている=行動していない”と誤認することも少なくありません。つまり、「不安が消えていないから、まだやっていないのかもしれない」と感じてしまうのです。
3.記憶の不確かさにどう対処するか?

1. 曝露反応妨害法(ERP)で「曖昧さ」に慣れる
曝露反応妨害法(ERP)は、強迫性障害に対して科学的に効果が認められている治療法です。
たとえば「鍵を閉めたか不安になる」場面で、あえて確認しないことを選びます。
最初は強い不安が生じますが、繰り返すことで「確認しなくても大丈夫だった」という体験が脳に刻まれ、不安は徐々に減っていきます。
2. 記録を取る
確認行動の代わりに、実際にやったことをメモに残すことで安心感を得る方法です。
例:「7:30 鍵を閉めた」と記録しておけば、後で不安になったときにメモを見ることで、「確かにやった」という客観的な証拠になります。
ただし、記録そのものが新たな確認行動にならないよう注意が必要です。
3. 「感覚」ではなく「事実」で判断する
「不安だから閉めていないはず」と感じても、それは事実ではなく“感覚”です。
鍵を閉めたときの行動そのものを意識的に思い出すようにすることが、記憶の曖昧さに飲み込まれないための一歩です。
4.まとめ
強迫性障害で「記憶が曖昧になる」のは、脳機能の過活動や記憶処理のゆがみに起因しています。
- 前帯状皮質・尾状核の異常
- ソースモニタリングの障害
- 不完全恐怖
- 感覚への過剰な依存
これらが組み合わさり、確認しても不安が残るという悪循環を生み出します。
対処には、ERPによる行動トレーニングや記録による客観化、感覚ではなく事実に基づく判断が重要です。不安に慣れるには時間がかかりますが、繰り返すことで「不確かでも大丈夫」という感覚を少しずつ身につけることができます。根気強く、丁寧に向き合っていきましょう。