「鍵を閉めたはずなのに、不安が消えない」「ガスを消したか思い出せず、何度も確認してしまう」これは、強迫性障害(OCD)の代表的な症状の一つです。
こうした“記憶に対する不確かさ”は、単なる注意不足ではなく、強迫性障害に特有の脳の働きの影響によって引き起こされます。本記事では、「なぜ記憶に自信が持てないのか?」という疑問に医学的な視点から迫り、対処法についても具体的に解説します。
なぜ記憶に自信が持てないのか?

脳の情報処理の異常
強迫性障害では、前帯状皮質(ACC)や尾状核を含む脳の一部に過剰な活動が見られます。
前帯状皮質は「エラーの検出」や「注意の切り替え」に関与しており、必要以上に反応すると「やり残したかもしれない」「間違っているかもしれない」といった感覚が生まれやすくなります。
また、尾状核の異常によって、「行動を完了した」という実感が得られにくくなるため、行動を終えたという“確信”が脳内で形成されにくくなります(Rauch et al., 1998)。
その結果、「確かに鍵を閉めたはずなのに、不安が消えない」という状態が起き、何度も確認するという悪循環が生じます。
記銘力の低下と記憶の曖昧化
強迫性障害のある人は、不安や焦りの中で行動する場面が多いため、注意力が分散しやすくなります。脳が“今この瞬間の行動”にしっかりと意識を向けられない状態では脳が情報を十分に処理しきれないため、行った行動がうまく記憶に残らず、「やったのに覚えていない」という感覚が生じやすくなります。これは、新しい情報を記憶する力「記銘力」(記憶にとどめる力)が一時的に低下するためです。
さらに、確認行動を何度も繰り返すことで、脳がどの時点の行動を“本当の記憶”とすべきか混乱し、記憶が曖昧になるという側面もあります。「本当に確認したのか」というような感覚のズレは、こうした過程から生まれます。
つまり、もともと記憶されにくいうえに、確認によって記憶の輪郭が崩れてしまう――この二重の構造が、強迫性障害における記憶の不確かさを生んでいるのです。
記憶に自信が持てないのは「記憶の能力」ではなく「信頼感」の問題
ただし、こうした曖昧さが生じるからといって、記憶力そのものに重大な問題があるとは限りません。
実際の研究では、強迫性障害の人は記憶の正確性自体は平均的であることも多く報告されています(van den Hout & Kindt, 2003 など)。むしろ問題になるのは、「自分は覚えていないかもしれない」と感じる“記憶への信頼感”の低さです。
これは、メタ認知(自分の認知を見つめる働き)の一部であり、「本当にやったかな?」「確かに見たはずだけど……」というように、記憶の内容そのものではなく記憶の確かさに自信が持てないという状態を指します。
この「記憶への不信感」が強いと、不確かさに過敏に反応してしまい、行動のたびに確認を繰り返す悪循環に陥ってしまうのです。
ソースモニタリングの障害
「実際に行ったこと」と「頭の中で思い浮かべただけのこと」を区別する機能をソースモニタリングといいます。OCDの人ではこの能力が低下しやすく、行動とイメージの区別が曖昧になってしまうのです。
たとえば、「鍵を閉める場面を想像しただけなのに、実際に閉めたと錯覚する」――そのような混同が不安の種となります(McNally & Kohlbeck, 1993)。
不完全恐怖(インコンプリートネス)
強迫性障害には、「物事が完全に終わったと感じられない」「きちんとやり遂げたという感覚が得られない」といった不完全さに対する過敏な不安がみられることがあります。これを「不完全恐怖(インコンプリートネス)」と呼びます。
この感覚は、「まだ終わっていない気がする」「やり残しがあると何か悪いことが起きるかもしれない」といった漠然とした不安として現れ、確認行動や繰り返し行動をやめられなくなる原因のひとつになります。
とくに、記憶への自信が揺らいでいる状態では、「ちゃんと確認した」という感覚が得られにくくなり、不完全恐怖と相まって強迫行為がエスカレートしやすくなります。

強迫性障害における記憶の特徴

強迫性障害では、過去の行動を「実際にやったかどうか」に対する確信が得にくいという特徴があります。これは、主にエピソード記憶(自分が体験した出来事の記憶)の曖昧さに関連しています。
たとえば、「鍵をかけた記憶がある」けれども、「それが現実だったのか想像だったのか、はっきりしない」というように、「したつもり」と「実際にしたこと」の境界が曖昧になってしまうのです。
さらに、「不安が残っている=行動していない」と誤認する傾向も見られます。これは感情と記憶の混同によるもので、「安心感がないから、まだ鍵をかけていないのでは」と感じてしまい、再確認行動へとつながります。
これらの認知的なズレは、記憶の正確性そのものが低いというよりも、「記憶への自信の低さ」や「不安による認知のゆがみ」が大きく関係していると考えられています。

記憶の不確かさにどう対処するか?

「本当にやったはずなのに、不安が消えない」「覚えていない気がするから、確認しないと落ち着かない」
——これは記憶そのものの問題というより、“記憶を信じられない感覚”が生む葛藤です。
強迫性障害においては、この「記憶への不信感」こそが確認行動を引き起こす大きな要因のひとつです。ここでは、その不安とどう向き合うかを、治療的アプローチと日常的な工夫の両面から考えていきます。
「あえて確かめない」ことで得られる安心もある
曝露反応妨害法(ERP)は、強迫性障害に対して科学的に効果が認められている治療法で、「不安を感じる場面で、あえて確認しない」という選択を行う方法です。
初めは強い不安が生じますが、繰り返すことで「確認しなくても大丈夫だった」という経験が脳に刻まれ、次第に“確認しないこと”への自信が育ち、不安も少しずつ軽減されていきます。
「メモ」より「一瞬の意識集中」のほうが役立つことも
「記録を取る」方法は一時的な安心を得られますが、場合によっては新たな確認行動を生み出すこともあります。
その代わりとしておすすめしたいのが、“やった瞬間の自覚”を強める工夫です。
たとえば、
- 鍵を閉めるときに「今、私は鍵を閉めている」と心の中で実況する
- 作業が終わったら深呼吸を1回し、「完了」と区切る合図をつくる
これにより、あとで不安になったときも「そのときの自分の動作を覚えている」という実感につながりやすくなります。
「不安がある=やってない」とは限らない
「まだ不安が残っている気がする」という感覚は、強迫性障害の大きな特徴です。しかし、この“感覚”は、現実とは必ずしも一致しません。
- 「不安がある=やっていない」とは限らない
- 「不安が消えない=危険な状態」とは限らない
この認知のズレに気づけるだけでも、確認衝動の強さは少し変わってきます。
自分の“感覚”ではなく、“やった行動”に注目してみてください。
事実は感情と別のところにあります。

まとめ
強迫性障害で「記憶が曖昧になる」のは、脳機能の過活動や記憶処理のゆがみに起因しています。
- 前帯状皮質・尾状核の異常
- ソースモニタリングの障害
- 不完全恐怖
- 感覚への過剰な依存
これらが組み合わさり、確認しても不安が残るという悪循環を生み出します。
対処には、ERPによる行動トレーニングや記録による客観化、感覚ではなく事実に基づく判断が重要です。不安に慣れるには時間がかかりますが、繰り返すことで「不確かでも大丈夫」という感覚を少しずつ身につけることができます。根気強く、丁寧に向き合っていきましょう。